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hida的キネシ術について。 日々、気づいたこと、体験したことなどの記録&日記です(^^)♪
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 どうやらもともと他の人に比べると、普通の生活をしている割には変わった人に会う確率が高かったようだけど、
 この仕事を始めてからその頻度が高くなったような気がする。
 
 セッションの内容も、他の人よりもバリエーションが抱負らしく、他の人にはあんまりなくて、私に割とよくあるのが
「亡くなった人の意思が知りたくて」来る人たち。

 私も病人やあの世へ行く人が小さい頃から割と多かったし、
 あちらへの行き方も、シンプルなものからニュースで見るようなものから、とバリエーションも色々あったから、という縁があるのだろうけど、(しっかり話すとえぐいので省略)

 残された人の気持ちが他人事ではないことが往々にしてあるから、この手のセッションでは特に気合を入れて亡き人の言葉を聞こうとつとめる。

 といっても、私が霊能力者、というわけではない。
 正直、幽霊が見えて生活しなきゃいけないのは怖いので、そういう能力はいらないと思っている。

 でも、そういう能力が無くったって、魂だけになった人たちと話す手立てはたくさんある。

 で、魂だけの思い人との通訳をキネシを通してやっていてよく思うのは、
 自分が思っているほど、亡き人は何にも気に病んでいないということ。

 特にセッションに来る人は、亡き人の埋葬の仕方、とか、
 生前にしてあげたかったことを悔やんで、今からでも出来ることは無いかと、聞きに来る。

 でも、出る答えはとてもシンプル。
 「そんな気力と体力を私のために使うなら、あなた、自分のために使いなさいよ。気持ちだけでもう十分だわ」
 と、なんかさばさばしたもの。

 「別に、何もかも普通でいいのよ。普通で。」
 「どうだっていいくらいよ。めんどくさいわ。」と、なんだか投げやり?とも思えるような、とてもあっさりした答が返ってくる。

 聞きに来ている本人は、悲しみに全身を支配されてしまったかのような感じなのに、
 出てくる答えの反応やそぶりはとても素朴でそっけない。

 亡くなった人のことを思うとき、
 「時がたてば悲しみはいえる」というけど、
 「思い出すたびに、いつでも失ったときに戻ってしまう深い悲しみ」があるのは身を持って知っている。

 けれど、キネシでこの反応に触れるたび、
 「なんか、わたしばっかり悲しんでずるくない?」とも思うのだ。
 
 でも、「ずるい」と思うことで、心の健康を取り戻させるのが彼らの狙いなのかもしれない。
 
 いつでも共通して言えるのは、亡くなった人は、失われた自分のことを思う時間で、自分の未来をもっと大切に思って欲しいと思っている、ということ。
 
 生きる世界は変わっても、お互い、同じ気持ちで互いを思ってるなら、いつかまた会えるときまで、
 その人のために、自分の人生を大切に生きるのが供養なんだな。
 と思うのです。

 最近、旅立たれる方をニュースなどでよく見かけるたび、
 このことを思い出すのです。

(以前mixiに書いたものに多少、加筆しています)
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【2006/12/26 01:18】 | セッションの中で気づいたこと
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