hida的キネシ術について。 日々、気づいたこと、体験したことなどの記録&日記です(^^)♪
さて、これで、最後のレビューです。

他に、何か、アフタヌーンティー後、
変わったことあったかなぁ。と考えていて
思いだしました。


お茶会で、お点前をするのが決まった後、
母が、25年くらい前から
言うだけ言って、
まったく発掘してくれる気配のなかった
曽祖母の着物を出してくれたのです!



この曽祖母、大変な趣味人だったようなので、
恐らく、しまってある着物もいいもののはず、
と、聞いていたのですが、


最初にその話を聞いて、既に25年は経過し、
その間、一回も、虫干しはされておらず、


10年ださなかった、母の着物が
既にしみだらけだったのを考えると、
「いい着物」だったとしても
「もう、着られないのではないか」なぁ。
と思っていました。



というか、曽祖母ということは、
明治半ばか、前半生まれの方なので、
そもそも、私が着られるだけの
大きさの着物なのでしょうか?



疑問が残りつつ、
発掘された着物を見に行ってみると、
もう、これが、奇跡としかいいようがない!



ダメになってしまっているものも
もちろん、たくさんあったのだけれど、
ほぼ、無傷のものもあり、



羽織ってみると、裄(ゆき)(そでのこと)が
3センチくらい短いのですが、
ほぼ、違和感無く、着られるのです。
模様もとても現代的。


(私は腕が長いらしくて、
 身長165センチ以上の人向けの
 着物でないと、裄はどれも短いので、
 これは、予想内でした)


曽祖母は当時としては、
とても大きい人だったようで、



反対に私は、想定されていたよりも
身長が伸びず、
父方母方合わせたいとこたちの中でも
2番目に小柄。


そういうわけで、
今現在、
この着物を不自由なく着られる体型を持った人間は
(おばたちを数に入れても)
おそらく、私だけで、
まさに、私のために
残されていたような着物だったのでした。
(と、少なくても
わたしはおもっています)


なのだけれど、
お茶の時に使う着物とは、
残されたものはちょっと違っていて、
無地の着物が一枚あるといいのになぁ。と
思っていると、


薄茶の無地の着物(しかも未使用の気配)が
まったくの無傷で出てきて、


羽織ってみると、
なぜかこれだけが、全体が大きめに作られており、
あつらえたように、裄までぴったり。


まるで今の私に
無地の着物をあつらえる先立つものが微妙なのを
予想していたかのような着物で、
(←これはこれで残念なのだけれど)
もう、感動でした。



アフタヌーンティー後に起きたことは、
たまたまだったのかもしれないし、
そういう運気だったのかもしれないけれど、


起きたことに
いちいち感動できる1・2カ月だったのは
たしかで、


そういう気持ちを 持てただけでも
豊かな時間をすごせたなぁ。
と思うのでした。


【2015/06/21 21:53】 | ワークのレビュー
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